ランナーズ東京10K 秋大会(2004 11月6日 10K)

 

 マラソンネタはこれで4つ目。

 これまでの3本を読み返してみると,全然「ダメ人間」ぽくないです(笑)。

 こんなつもりではなかったんですけれども,何故こんなことになっておるのか

と申せば,それだけ走ることについて警戒しているということですね。

 これまでの自分から最も遠いことをやらかしておるので,それなりの準備を

しているからだと思います。

 最近「ダメ人間失格」とも言われておりますが(笑),そのうち慣れてくれば,

自分でも呆れるほどのダメっぷりが出てくることと思います。お楽しみに。

 

 さて,そんなことはともかく。

 走り始めて良かったことがございます。

 よく寝られるようになったとかいろいろありますが,私にとっての一番は腰痛

が無くなったことです。

 私はエグい腰痛持ちでした。

 整体,カイロにどれほど通ったことか。

 その時は多少よくなりますが,根本的には改善しませんので,すぐまた痛く

なるんですね。金も結構かかります。

 ある時またひどく痛むので,知り合いのおばちゃんに腰痛の権威という整形

外科の先生を紹介してもらい,ちょっと遠いのですが,脂汗をかきながら痛み

をこらえて行きました。

 行くとまずレントゲンを撮られました。

 骨には異常は無いとのこと。

 それはいいのですが,先生曰く,「アンタ,立派な骨してるねえ」。

 ……。

 まさか骨を誉められるとは思ってもいませんでした。誉められても嬉しくは

ないですな。

 なんか(運動を)やってたの?とも言われましたが,そんなことはないのは

前述しております通り。

 その日は電気針の治療をしたぐらいで,少し運動しなさいと言われ,「腰痛

体操」のチラシを貰って帰りました。

 医者ってのはタバコやめろ,酒はひかえろ,少し運動しろしか言いやしねえ。

 その時はやや憤慨ぎみでしたが,今考えれば,それぐらいのことしか言えま

せんよね。むしろそれが正しい。

 その後,この先生が,前回出場大会,手賀沼エコマラソンの何回目かの

大会委員長であったことを知り,いやはやと思いましたけど。

 先生,おっしゃる通りでした。おかげさまで腰痛は無くなりました。

 こんなところでなんですがお礼申し上げます。その節はありがとうございました。

 走り始めて,まず痛くなったのが前頚骨筋。スネの外側の前ですね。

 この痛みは走り続けているうちにだんだん無くなりました。

 私の場合,次に痛くなるのが背筋なんです。

 これは長い距離を走ると今でも痛くなってきますが,痛くなるぐらいだから,それ

だけ使っているということなんでしょう。元々弱いんだと思います。

 これが少しずつ自然に鍛えられ,腰痛も無くなったんでしょうね。

 腰痛の無い生活はとても楽です。これだけでも走り始めて良かったと思いますね。

 腰痛でお悩みの方。

 だまされたと思って,少し走ってみてはいかがですか。すぐに効果は出ませんけど,

気が付くと楽になっている自分がいるかもしれませんよ。おすすめです。

 (追記 腰痛に悩んでおられるランナーも数多くおられるようです。全ての方に効果

があるという訳ではありません。念の為)

 

 で,ランナーズ東京10K秋大会。

 手賀沼ハーフの6日後。

 ちょっと無理があるかなとも思いましたが,手賀沼で故障したら棄権すればいいや

ぐらいの気持ちでエントリーしておきました。

 実際は変なダメージは無かったので,気持ちよく参加できました。

 1ヵ月後には初マラソンとなるNAHAが待っております。

 ハーフ2時間30分以内を達成しましたので,この10キロでは1時間を切ることが

目標。

 これができればNAHAの完走も夢ではない!

 そんな気持ちでしたね。

 コースは大会初出場のランナーズ東京10K夏大会と同じ,昭和記念公園内の5

キロを2周。

 天候はほどよく,走りやすい状態といってよかったのではないでしょうか。

 レース前,サンタクロースに扮したランナーが子供たちになにものかを配ってまし

た。あんな余裕が私にも欲しいね(レースが始まったら途中でこのサンタさんにぶち

抜かれた)。

 ゲストランナーにはアテネのパラリンピックで金メダルを獲得した高橋勇市さんが

伴走の方と共に出場。

 レース前,私の横をすり抜けて行かれ,間近にお会いできまして大変光栄なこと

でございました。

 2004年の「かすみがうら」では2時間30分台の記録を出され,「別府大分マラソ

ン」の出場資格,2時間40分以内をクリア。

 こういう方がいらっしゃると,国内の大会も変わってきますでしょうし,タイムを考え

ると伴走の方もトップランナーのレベルが要求される。

 また伴走ってのは技術的に難しいらしいです。

 この高橋さんのような方が出てこられて,トップレベルのランナーの中に伴走の勉

強をしてみようという人が増えてきたら,これはブラインドランナー(高橋さんはご自身

ホームページでは「ロープランナー」という言葉を使っておられます)の可能性がいよ

いよ高まって素晴らしいことですし,そうでなければならんでしょう。

 また高橋さんみたいな凄いタイムを出す人でなくても,盲人の方で走ってみたいと思っ

ている人は多いと思うんですよ。私が走りたいというのと同じように。

 伴走者がどんどん増えて,盲の方々も普通に参加できるような大会ばかりになると

いいです。マラソンはそれがやりやすい競技だと思います。

 私もできることなら伴走をさせてもらいたいものですが,まだ自分が走るので精一杯

ですな(笑)。これは生意気な願望。

 まあそれに見合うほどの走力がついた時に考えましょう。そんな時がくるのでしょうか

(笑)。

 さてさて,レースですが,これまでの出場大会とは違って,明確な目標がある。

 5キロで30分を切ったことはありますが,10キロ1時間は練習ではなかなか切れず,

自分の中ではやや遠い目標でした。

 しかしこの6日前にハーフを走っており,これがかえっていいトレーニングになって

好記録に結びつくのではという期待も少しありました。

 この時はストップウオッチも持たず,潰れない程度のペースを保って走り始めました。

 5キロを過ぎてもなかなか快調なので,これはいい感じだと。

 リズムを乱さないことを考えながら,更に行く。

 8キロぐらいでちょっと足が重くなってきましたが,なんのこれしきとばかりめげずに

走る。

 ラストはスパートをかけようかと思いましたが,私のレベルとしてはオーバーペース

だったのでしょう。スパートと言えるほど足が伸びませんでした。

 記録。

 58分21秒。

 お,お,お,……(感涙)。

 やりました。1時間切りました。

 この年でもお稽古すれば進歩するんですねえ。

 これ,タイムとしては非常に遅いんですが,良かったのは5キロ通過が29分13秒

なんです。てことは後半5キロが29分08秒ですわね。

 イーブンペースで走り通せたということなんです。これは1時間を切ったことより嬉し

かったですね。

 キロ6分を少し切るペースで10キロを行けた。

 これは私にとっては大きなことです。フルマラソン完走に向けての自信になります。

 レース後,メイン会場ではさまざまなイベントが行われます。

 今回も「ランナーズ」表紙モデルの水谷妃里(ゆり)さんがゲスト参加。ジャンケン大

会とかですね。

 この水谷さん,「ランナーズ」表紙では健康そうな高校生の女の子という感じですが,

実物はもう尋常ではない美しさ。

 かわいいという次元では済まされない,息を呑むような美しさです。夏大会の時,

間近ですれ違って,もうびっくりした。

 2005年から表紙が変わってしまって,オジサンがっかり(笑)。

 で,イベントをやっている最中に,最終ランナーが戻ってきました。

 そういうアナウンスが入るんです。

 もう大歓声,大拍手。

 あれはかなりおいしいな(笑)。

 この大会は10キロの制限時間が2時間ですから,歩いてもゴールできます。

 仮に2時間以上経過しても,コースは公園内ですから,ゴールまでさせてもらえる

んじゃないかと思います。

 このようにいろんなレベルの人がいて,それぞれがその人なりのゴールの感動を

味わえたらそんな楽しいことはないと思います。

 「完璧」な大会を作るのは難しいでしょうが,それぞれが特色を出していって,少し

でも多くの人が楽しめる大会作りをしていって頂けたら嬉しいことです。

 

 さて,次はいよいよNAHAマラソン。鬼が出るか蛇が出るか。

 写真たっぷりでお届けする予定です!

2005.2.7 (2005.5.12 補筆,訂正)


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