NAHAマラソン (2004 12月5日 フルマラソン)

 

 さてさて,いよいよ初マラソンとなる「NAHAマラソン」でございます。

 最初に申し上げます。今回は長いです(笑)。

 練習開始から10ヶ月余り。

 ハーフマラソンを2時間30分以内に走り,10キロを1時間以内でも走った。

 ここらで一度,フルマラソンを経験しておきましょう。

 何故フルマラソン第一弾がNAHAであるか。

 これは大学の後輩,N君の話を聞いたことによるところが大きい。

 彼はこれまで二度,このNAHAマラソンを完走しております。

 私が走りだす前,いろんな人に「これから走るぞー!」と吹聴していた頃,

N君にも会うことがあり,話をしたんです。

 すると彼は,NAHAマラソンの素晴らしさを説くんですね。「一緒に走りま

しょう!」とも。「オリオンビールを飲みましょう!」とも。

 しかしなにしろ沖縄ですからね。ちょっと遠いし,金だってかかる。

 なにも初マラソンを沖縄にしなくてもいいんじゃないかとも思いましたが,彼

の話を聞いていると,かなり心が動きましたね。

 その後,雑誌などでNAHAマラソンのレポートを読むと,彼が言った通りの

ユニークな大会なので,これは面白い,本気でNAHAをやってもいいかなと

いう気がしてきました。

 もう一人,ライターのずーちー先生という人物がおり,この人はちょうどこの

年,沖縄のガイドブックを作るため,取材で度々沖縄に通っていたんですね。

 本はマラソンの前に出版されましたが,NAHAマラソンもからめてその時期

また取材に行くということで,こういう心強い人物がいるのであれば,沖縄も

さぞ面白かろう。

 そんなこんなで,初マラソンはNAHAに決定。初マラソンにチャレンジする

タイミングとしても,ちょっと早いかもしれませんが,まあいいところだったん

じゃないでしょうか。

 で一応,同居の母にこの旨を伝える。

 「NAHAマラソンに出ることにしました」

 「あら。沖縄。いいわねえ」

 「いや,マラソンですから。別に観光しに行く訳じゃありません」

 「沖縄いいわねえ」

 「……」

 この後,親戚のおばはんの寄り合い(私は「国防婦人会」と呼んでいる)で,

「マサトシ(私のこと)沖縄に行くんだって」「あら沖縄。いいわねえ」というような

話が展開し(マラソンはどこかへ消えている),このうちの二名が同行することに

なったのは大きな誤算でありました。

 ……。まあいい。

 

 NAHAマラソンは12月5日。

 前日にゼッケンを貰ったりする受付がありますので,4日に沖縄入りしなけれ

ばならない。

 国防婦人会と共に沖縄初上陸。暑い。

 実はこの時,12月だというのに,台風が発生したんですね。27号。

 飛行機が飛ぶかどうかも心配したぐらいです。実際便によっては影響が出た

そうですし。

 マラソンの大会自体も,当日の朝協議の上,開催か否かを決定するということ

になったんです。

 ここまできて中止というのもがっかりですが,それならそれで3泊4日,飲み倒

そうと腹を決めました。

 まずレンタカー屋で車を借りる。

 最初にやることをやってしまおうということで,奥武山(おうのやま)運動公園で

マラソンの受付を済ます。

 ゼッケン番号,「18096」ですよ。凄い大会ですよね。

 総エントリーは24503名だったそうです。あー恐ろしい。この辺のことはまた

後で。

 受付会場に沖縄タイムスがテーブルを出していて,これは大会翌日の朝刊と,

4日後の完走者名の載っている朝刊を後日郵送してくれるというサービスなんで

すね。500円だったかな。

 完走できるかどうかはわかりませんけれど,一応申し込んでおきました。

 さて,これであとはホテルにチェックインするだけで,本日の予定は終了。

 まだ早いので,とりあえず観光がてらコースの下見でもしようと。

 本来は奥武山運動公園から那覇市街に入り,国際通りを抜けて南下し,沖縄

南部を時計回りに行くんです。

 しかしこの時は車を軍港のえらいこと離れた場所に停めさせられたので(そこ

から受付会場まではピストン運行しているバスを使わせられた),市街に入るの

も面倒だということで,コースを逆走してみようと。

 那覇空港を右手に見て,国道331号を南下。

 糸満まではほぼ平坦な道なので,レース終盤にトドメを刺されることはないと。

 しかしその先じわじわ登っていくんですねえ。レースではゆるやかな下りが続く

ことになります。

 登り続けると「ひめゆりの塔」に到着。

 昼過ぎでしたのでここで沖縄そばを食す。

 私は気に入りましたが,国防婦人会は麺が固いということで不評でした。量も

多くて年寄りには食いきれないと。

 腹が満たされたところで出発。コース下見の続き。

 なかなかきつめの坂になってきて,登り切ると平和祈念公園。ここがマラソンの

中間点になります。

 ここから那覇市街に向かって北上。延々と下り坂が続く。

 つまりレースでは平和祈念公園までずーっと登る訳です。その後下ると。

 車を運転しながらすっかりブルーになりましたね(笑)。こりゃ無理だと。

 とりあえずコースの概要はわかった。ホテルにチェックインしましょう。

 この日はなにしろ翌日マラソンですから(まだ開催かどうかは決定してませんけ

ど)そんなに飲む訳にもいかない。

 同日に沖縄入りのずーちー先生も,飛行機が遅い便になり,しかも一発取材が

あるということで合流は遅くなると。時間がある。

 国防婦人会の両名には少しご休憩頂き,私は散髪でもしに行こう。

 ホテルのそばに美容院があったので飛び込み,カットだけお願いする。

 どうしましょうか,と言うので,「明日NAHAマラソンに出るんですよ。見た目速そ

うにして下さい」とカマす。

 ああそうですか,どちらから,と話が弾む。

 NAHAマラソンの面白さなどいろいろ聞き,「頑張ってね!」と励まされる。

 これがうちなーんちゅとのファーストコンタクトとも言っていいのですが(笑),非常

に人間がめんこいというか,あったかいというか,私の捻じ曲がった心にもまっすぐ

訴えかけてくるというか(笑)。

 仮に踏み込まれても不快じゃない,というよりむしろ笑ってしまうような。

 なんだかいいんですね。

 危険も感じましたね。ヘタに沖縄の女性にはまったらえらいことになるなと(笑)。

 「父帰らず」になりますな。父じゃないけど。

 実際奥武山の受付会場に向かうバスの中で,私の後ろに若い娘さんたちが座っ

ていたんです。アクセント等から間違いなく沖縄の人ですが,この子たちの話を聞い

ていると,もうかわいくてしょうがなかったですね(笑)。

 他愛無いことを話しているんですけどね。何時に待ち合わせしてるけど絶対間に

合わない,どうしよう,とか(笑)。

 これをあの沖縄アクセントでやられるとなあ。

 彼女たちもまさか前に座っているおじさんが萌えの臨界点に達しているとは思っ

てなかったでしょうなあ(笑)。

 ま,それはともかく,私は出先で散髪するのが好きなんですけど,こういうことが

あるもんですから。やめられません。

 さて,頭もさっぱりしたところで国際通りの「地酒横丁」に向かう。

 民謡酒場と言っていいでしょうか。ライブがあるんです。

 ここでずーちー先生とも合流。

 少しものも食い,泡盛もちょっと飲む。

明日マラソンだと言うに,

それでも飲むか。自分。

 ここで島らっきょうにハマる。泡盛も旨い。

 まあそれでも流石に早々に切り上げてですね,タクシーでホテルに戻る。

 国防婦人会は24時間営業のスーパーで買い物。私はコンビニで朝食を調達。

 とりあえず寝る。

 

 マラソン当日。

 5時に起きる。

 買っておいたおにぎり等をゆっくりよく噛んで食べる。

 5時半にはRBC琉球放送で開催の情報が出るというのでそれを見る。

 開催決定。そうか。よし。

 熱めの風呂に入り気合を入れる。

 この日は国防婦人会の両名はずーちー先生が面倒を見てくれるということなので

ありがたくおまかせし,一人で奥武山公園に向かう。

 で,私が泊まったホテルは松山というところなんです。

 ここから奥武山公園まではちょっと距離がある。

 タクシーはもう佃煮にできるぐらい走っているんですけど,むひひ。

 「ゆいレール」に乗りたいんだもん♪

 モノレールです。沖縄での自動車以外の唯一の交通システムですね。

 かわいらしい2両編成で,是非これに乗りたかった。

 ホテルから歩いて見栄橋駅に行く。

 駅はもうランナーだらけ。

 駅に入ってくる車両も,もう満員。

 それでもしょうがないので乗る。みんな乗る。

 東京で言えば平日朝の地下鉄千代田線北千住駅を想起するほどの激混み。

 それで一駅過ぎて県庁前駅に着いたらまた乗ってくる。

 降りる人はいない。そりゃそうですよ。みんな同じところに行くんだもん。

 むぎゅ〜。

 奥の方の女の子が思わず叫ぶ。「もう無理,無理〜!!!」

 これがまた全然殺伐としてなくて,車内に笑いが広がるんですね。

 東京だったら険悪な空気に包まれて,それでもみんな無言なんじゃないですか

(笑)。

 まあ,これからマラソンを楽しもうという人ばかりだから,そんなほんわかした

雰囲気なのかもしれませんね。

 ぎゅうぎゅうに詰め込まれながらもみんなで笑っておりますと,座席に座っていた

NAHAマラソンのスタッフジャンパーを着たご年配の三人がすっくと立ち上がり,「応

援しますから」と言って降りていきました。

 車内に歓声があがる(笑)。

 あー面白い。乗ってよかった。

 そんなこんなで奥武山公園に到着。

 台風の影響か,結構風が強くやや寒い。

 競技場の芝生の上でストレッチなどする。

 その後荷物をまとめて預けるのですが,これがもう大変。

 なにしろ人数が凄いですから。2万人ですからね。

 手荷物預かりまで大行列です。スタートに間に合わないんじゃないかというぐらい。

 ビニール袋を配っていて,それに荷物を入れ,ラベルを貼って預けるだけなんです

が,いやはやもうえらいことで。

 そういえば私がビニール袋を貰って,荷物を入れようとしていたら,スタッフのおじ

さんが寄ってきて手伝ってくれました。「口,縛りましょうねー」かなんか言って。

 自分でできますから(笑)。おじさんもはかどらなくて焦っていたんでしょうかね。

 さて,荷物も預けて,あとはスタートを待つばかり。

 さっきからずっと会場内にマーチがかかっているんですね。

 「星条旗よ永遠なれ」もかかる。

 この曲,某国を想起させ,特別の感慨を抱く方も多いかと思いますが,私にとっては

思い出の曲でもあるんです。

 高校生の時,某市民吹奏楽団がヨーロッパ遠征をする時に,テナーサックスがいない

ということでエキストラ参加したことがあるんです。

 このバンドの演奏会でのアンコール曲がこの「星条旗よ永遠なれ」。団員はこの曲に

関してはみんな譜面を暗記しておりますから。準備をしていなくてもいつでもどこでもで

きると。

 私はこんな曲,吹いたことありませんから,邪魔にならないように適当にベースライン

を吹いたりしておりましたが。

 あの頃我が家は非常に苦しい状況で,とても海外に行く金なんか無かったのですが,

ある方のご好意によって参加できたんです(1ドル238円だった。まだ「西ドイツ」だし)。

 考えてみれば,マラソンに出るために沖縄くんだりまで飛んでくるなんて,子供の頃に

は到底考えられないことでした。

 今普通に免許を取って車に乗ってますが,そんな自分は全く想像できなかった。

 高校ぐらいは出るかもしれないとは思ってましたが,まさか大学にまで進むとは。

 今だって苦しいことに変わりはありませんが,あの頃とはずいぶん違いますし,時代も

変わったんだなあと。

 こんなことしてて,バチがあたるんじゃないかとか。

 なにしろありがたいことだなあと。存分に楽しまないといかんなあと。

 ちょっと子供の頃を思い出したり,いろんな思いが渦巻き,涙ぐんでしまいましたね。

 

 さあさあ,おセンチになっている場合ではございません。

 いよいよスタートですよ。

 午前9時。万国津梁之鐘(バンコクシンリョウのかね)が打ち鳴らされます。

 といっても私が並んでいるところではスタート地点なんか全然見えません。

 スタートしてもしばらくは動かない。しばらくするとだらだらと動き始めますが,走るような

状況じゃありません。

 国場川沿いをてれてれ歩き,明治橋で右折。まだ歩く。

 これが明治橋を渡りきったぐらいですね。凄い人。右側の高架が「ゆいレール」です。

 こんなお姉様方もいらっしゃいます。まだ歩き。

 ようやくスタート地点。ぶれてますけど走り始まった証拠ですね。

 これが万国津梁之鐘。号砲のかわりにこの鐘をゴーンとやる訳です。

 スターターは那覇市長と,日本女子アマチュアゴルフ選手権で史上最年少優勝を果たした

宮里美香さん。同じ宮里でも藍さんとは関係ないんだそうです。中学生。凄いですねえ。

 宮里藍さんもこのNAHAマラソンのスターターだったんですよ。

 美香さんも世界で大活躍するようになるんでしょうか。

 

 さて,スタートからこのスタートラインまで,手元の時計で12分24秒かかりました。

 この大会,昨年までは制限時間が6時間だったのですが,このように最後尾だとスタート

ラインに到達するまでに15分ぐらいかかるんですね。

 この時間差は大きいだろうと。

 これで6時間をちょっと過ぎて失格というのはあんまりかわいそうじゃないかと。

 そういうクレームがつきまして,この年から制限時間が6時間15分に変わりました。

 まあ公平なのかな。そのかわりもう言い訳できませんよ(笑)。

 しかしまあ,6時間ぐらいかかる人にとっての15分というのは,距離にして2キロぐらいで

しょうが,これは大きいです。そりゃ完走したいですからねえ。

 ただ,他の国内外の市民マラソンでも,6時間制限という大会が多いんです。

 ですから私としては,なんとか昨年までのルールでもある6時間,この時間内になんとか

ゴールしたいと。

 アップダウンの比較的厳しいNAHAのコースで6時間以内に完走できれば,他の平坦な

コースでの大会ならもう少し余裕をもって完走できるのではないかと。

 で,このNAHAでそんなにクレームが出るのは何故かと申しますと,この大会,途中関門

で時間内に通過できないと,きっちり止められてしまうのです。

 まあ他の大会でもそうですが,このNAHAの特色の一つに「人の鎖」というのが出現しまし

てね(笑)。

 例えば中間点の平和祈念公園では12時15分になるとスタッフジャンパーを着た男の子

たちが手をつないで一列に並び,時間内に通過できなかったランナーを止めてしまうんです。

 つかまるとリタイアバスに直行。

 あとは31.8キロ地点が13時45分。ここも「人の鎖」ですね。

 最後,競技場の門が閉められるのが15時15分。

 バシャーンと門が閉められると,その前でへなへなと崩れ落ちる人が出る訳です。

 これが一つの名物になっていて,それを見に来ている人もいるんです(笑)。

 まあ私の理想とする市民マラソンのあり方とはちょっと違うんですけれども,これはこれで

面白い。最初からそういうものだとわかっているんですしね。

 この辺についてはまた後ほど。

 

 さて,超スローペースで走り始まりましたが,尋常でない人の数で,追い抜くのもままなら

ない。

 これは国際通りです。もうびっちり。

ピカチュウも走る!

 スタートラインから最初の10キロまでが1時間12分ほどかかりました。

 その後,10キロ地点から20キロ地点までが1時間17分。

 これはもう非常に遅い。しかし抜きようがないんですよ。

 こんなペースで大丈夫なんだろうかと思いましたが,はい,これで良かったんです。

 ここで快調に飛ばしていたら,早い時期に完全に潰れてしまったことでしょう。

 そうは言っても,15キロぐらい行くとだいぶ人の密度も少なくなってきまして,だんだん走

りやすくなってはきました。

 沿道の応援が実に面白いんです。

 母撮影。まあこれはご覧の通りの太鼓ですけれども。

 指導者が厳しくて滅茶苦茶気合が入っているんですって。

 この日に向けてもかなり練習してきているんでしょうねえ。こういう集団があちこちにいっぱ

いいるんです。

 また小学校の前にさしかかったりしますと,子供たちがずらりと並んで,「頑張って下さーい

!」「ちばりよー!」などと激しい声援が飛びます。そしてランナーとハイタッチ。

 私もどれだけ子供たちとハイタッチしたかわからない。100人以上はしたな。

 それから主催者側で用意している給水所は各ポイントに勿論あるんですけれども,これと

は別に,私設エイドが物凄い数あるんです。とぎれないほど。

 これが実に面白いんですねえ。

 一番多いのは塩と黒糖。

 お盆に塩や刻んだ黒糖を盛って沿道に立ってサービスしてるんです。

 私もずいぶんヨバれました。

 あとはみかんを小分けにしたのとか。

 ビニールに入ったちゅうちゅう吸うアイスがありますでしょ。あれとか。

 バナナ一本ってのも貰いましたよ。個人ですよ。あれは驚いたなあ。ホントに貰っていいの

か不安になるぐらいでしたよ。

 また感心したのは,そのようにものを配っているだけでなく,ビニール袋を広げて立ってい

る人ってのもいるんです。

 バナナ貰ったり,飴を貰ったりするとゴミが出ますでしょ。それを集めているんですねえ。

 これは凄く助かります。大会のスタッフじゃないんですよ。普通のそこらのおっさんです。

 もう凄い大会ですよ。尊敬に値します。

 走る人も走らない人も,このお祭りをより良く楽しいものにしようという気概が溢れています。

 ちなみにこの大会で沿道の方々から飴ちゃんをずいぶん貰いましたが,これが走っている

時にすこぶる具合が良くて,以来クセになってしまいました。

 この後に出た大会には必ず飴ちゃんを携帯しております。

 まあそんなことはどうでもよろしい。

 

 15キロを過ぎ,18キロから20キロまでの坂がきつい。しかし前述しておりますペースです

から。潰れずに登り切ることができました。

 スタートから2時間50分で中間点を通過。

 今大会での制限では6時間15分の半分ですから17分半の貯金。前年だと(制限6時間の

半分3時間だと)10分の貯金。

 この10分の貯金が後に重要になります。

 国防婦人会を含む応援チームにここで連絡を入れる。

 カメラと一緒に携帯電話も持って走ったんです(笑)。

 特に国防婦人会はコース下見でこの坂を一緒に見ておりますので,まず完走は無理だろう

と思っておったはずなんですね。とりあえず第一関門は通過できましたということでご報告。

 平和祈念公園の1キロほど手前から今度は下り坂です。

 これがまたきついんですね。むしろ下りの方が後々のダメージは大きいかもしれません。

 ここで妙な気が起きましてね。

 誰かに突然電話をかけたくなったんです(笑)。

 そこで某F氏に電話する。

 すると留守番電話でしてねえ。がっかりだったなあ(笑)。

 仕方がないので留守電に現状報告を吹き込む。

 後で掲示板の書き込みを見たら,まるで戦争リポートのようだったと(笑)。

 なんだかこれではつまらないので,もう一人地元の後輩T氏にもかける。

 彼は電話に出ましてね(笑)。

 「おう。俺だ」

 「……あれ。もう走り終わったんですか?」

 「いや,今走ってんだよ」

 「え!?」

 ってなもんです(笑)。

 私だってマラソン中の人から電話がかかってきたら驚くでしょうな(笑)。

 そんな馬鹿なことをやっているうちはいいのですが,足にはかなりのダメージが加わって

きました。

 私の悪いのは左ヒザなんですが,これをかばうのでしょう。右足もおかしくなってきました。

 途中三回,右ヒザがパキッ!となり,その度に激痛が走り,「ぅあ゛っ!!!」と叫んでしま

いましたが,私の傍で走っていた人はさぞびっくりしたことでしょう。

 

 そうこうしているうちに「ひめゆりの塔」。

 ここでまた面白い私設エイドがありました。

 わかりにくいでしょうが,おにぎりをふるまっているんです。

 いくつ握ったんでしょうかねえ。ごはんもどれほど炊いたことやら。

 しかしここまでもう3時間以上走っておりますから,腹も減るんですね。

 このおにぎりはありがたかったです。

 これはサーターアンダギーです。ドーナツみたいなもんですね。

 こんなもこもこしたものを走っている最中にホントに食う人がいるのかと思いましたが,こ

れが出すなり無くなってしまうんです。この写真を撮って,私もためしに頂こうと思ったらもう

無くなってました。

 これは沖縄そばのスープなんです。

 これがいいんですねえ。塩気がありますでしょう。あったかいし。

 かなり嬉しいものですよ。生き返る気がします。

 しかしこれも……。どれだけ用意したの?

 

 「ひめゆりの塔」で25キロ。

 ここを過ぎてダメージはかなり深刻になってきました。

 息が切れるということはないのですが,もう単純に脚力不足。

 足がいっぱいいっぱいになってきました。

 ここで無理して完全に動けなくなってもつまらない。

 迷わず歩く。

 腕を強く振り,競歩のように歩く。

 立ち止まってしゃがみこんでしまったら,もう二度と走れなくなることでしょう。

 歩き続けることで疲労物質が洗い流され,また多少復活すると。

 三分ほど歩いてまた走り出す,というようなことを繰り返す。

 ハーフから先は未知の距離になりますが,ついに30キロ。糸満に入ります。

 ひどい写真ですが,美しい海が望めるコースです。

 もう坂は大したことない。あとは気力。

 パンダも走る!

 このパンダ君は私と抜きつ抜かれつを繰り返していたのですが,最後は完全にぶち抜かれ,

置いていかれました。

 そして31.8キロ関門。

 4時間45分以内に通過しなければならないのですが,私の時計で4時間27分45秒。

 関門はクリア。前年までの制限でも4時間30分ですからなんとか間に合ってます。

 ゴールの制限6時間15分までに残す時間が約1時間47分。

 残る約10キロを1時間47分ですから,よほどのアクシデントがない限り完走は間違いない。

 しかし目標は6時間以内ですから,それだとあと1時間32分です。

 普通なら余裕の時間ですが,既に限界が近づいてきてましたので,この時間はかなり微妙な

ところです。歩きも入りますからね。

 ここでいきなり隣で走っていたおやじに声をかけられる。

 「(今年は制限が15分延長したので)あとは歩いても大丈夫だよな♪」

 おやじ。歩きではぎりぎりだぞ。

 それに俺は今頭の中で一所懸命計算してるんだ。気の抜けること言うんじゃねえ!(笑)

 しかしおやじの言う通りでして,この時点でフルマラソン完走がほぼ現実になってきた訳です

よ。

 苦しさは絶頂に達しつつありましたが,じわじわと喜びが込み上げてきて,気力も少し持ち直

しましたね。

 しかし中間点からこの31.8キロ地点(3/4地点)の約10キロが1時間37分かかっています。

 これは厳しい。リタイアペースです。坂でやられたのでしょうね。

 今更しょうがない。ひたすら走るのみ。

 とは言っても疲労は徐々に全身に広がってきます。

 そんな苦しい状況で走り続けていると,沿道のコンビニの前の歩道にエスケープしているおや

じランナーがいました。

 このおやじ,あろうことかタバコを点けて一服しています(笑)。

 ゼッケン付けている参加者ですよ。驚いたなあ。

 あれは余裕なのか諦めなのか。

 ちょっとうらやましかったのですが,あんな真似をしたら完全に動けなくなってしまいそうです。

 

 さあさあいよいよ終盤。最後の追い込みです。

 40キロ地点通過が5時間45分19秒。

 6時間まであと15分無いじゃん!

 残り2.195キロを14分41秒。うーむ,きつい。焦りが出る。

 ちょっと走ると今度は「あと2キロ」の表示。

 時計を見て計算すると,1キロを6分台半ばで走らないと6時間以内にゴールできない!

 これは今の状況ではきつい。

 心が「メロス」な気持ちでいっぱいになる。

 だがまだ不可能ではない。俺はメロスじゃない!(笑)

 ここまできて,6時間を切れなかったら絶対後悔する。なにがなんでも……。

 最後の気力を振り絞ってスパートをかける。

 しかし足が重〜い!

 あんなに足って重くなるんだなあ。

 それでも走りましたよ。私の気持ちとしてはもう激走ですよ。

 はたで見ていたら「あのおっさん,ずいぶんくたびれてんなあ」ぐらいにしか見えなかったで

しょうけれども。

 競技場が見えてくる。

 時間は……。

 大丈夫!まだ間に合う!

 不思議と力が湧いてきて,足が前に出る。

 競技場のゲートを過ぎると客席に応援チームがいるのが見え,帽子を取って振る。

 トラックに入る。

 時計をもう一度確認。大丈夫。ぎりぎりだけど,6時間以内に入れる。

 トラックを周回し,ゴールゲートが正面に。

 疲れも,ヒザの痛みも,全てが吹き飛ぶ。

 そして両腕を高々と突き上げてゴール!

 やりましたーっ!

 フルマラソン完走です!

 いやー,こんなことが自分にできるなんて。

 そりゃあもう感動しましたよ。

 泣いたかって?

 走る前は昔のことを思い出して涙ぐんだりしましたけどね,ゴールして思うことはただ一つ。

 

 ビール!!!

 

 なにはなくともビール!ビールビールビール!!!

 早く飲ませんかい,コラ!暴れるぞ!

 

 記録。

 5時間59分13秒。

 うひょ〜。

 NAHAマラソン2回完走のN君は,このタイムを「壮絶」と評しました(笑)。

 壮絶かどうかはわかりませんが,上記の通りでございます。

 中間点までで10分の貯金がありましたよね。2時間50分。

 中間点から3/4地点まで1時間37分。

 そして3/4地点からゴールまでが1時間32分だったんです。

 つまり後半が3時間9分。

 前半10分の貯金のおかげで6時間をぎりぎり切ることができたと,そういうことでございます。

 ゴールするとおばちゃんたちが待っていて,完走メダルを首にかけてくれます。

 琉球ガラスなんです。きれいなものですよ。

 この後,競技場内で完走証を発行してくれるのですが,これにずいぶんと時間がかかりまし

たね。後日主催者側からお詫びがありましたけれども,頭の中がビールで支配されている私

のイライラは頂点に達し,あての無い殺意を覚えるほどでしたけれども。

 沖縄の「月桃(ゲットウ)」という草を混ぜた紙なんだそうです。

 この完走証とドリンクの引換券を貰い,オリオンビールの出店に直行。

 ようやくビールにありついてご満悦。

 瞬く間に飲み干し,生ビールを追加補充。物理的,また精神的渇きを癒す。

 

 この大会,総エントリーが24503人であることは既に申しました。

 実際にスタートを切ったのが20973人。

 完走したのが15137人。完走率72.17%。

 まさに国内最大の大会でございます。

 

 制限時間を迎えて,競技場の門が閉められるところを母が撮っておりましたので,それを

お見せしましょう。

 はい。ランナーが駆け込んでおりますね。この人たちはセーフです。見事完走です。

 これが時間になりますと,容赦なく門が閉ざされます。

 ここで門の外にいる人はアウト。完走ならずですわ。

 完全に閉ざされました。

 こうしている間にもランナーはどんどん帰ってくるのですが,後の祭り。

 しかし見物している人たちから賞賛の拍手が沸き起こります。

 完走証は貰えませんけれど,走り抜いたことに変わりはありませんから。

 それで,この門が閉ざされる直前,最後に滑り込んだ人というのが当然いますよね。

 この人がトラックに入ってくると,テレビのインタビューとカメラが追いかけていくんです(笑)。

 ラストフィニッシャーですね。あれはかなりおいしいぞ(笑)。

 この大会,この様に各関門で厳しく切られてしまうのですが,一歩下がって考えればですね,

人それぞれのゴールがあるのだと。

 完走したからどうということでもないですからね。

 とりあえず今回は中間点まで行ってみよう,とか。

 お年を召された方なんかでしたら,去年は31.8キロまで行ったけど,今年はハーフまで

行けたら上等だ,とか。

 去年は30キロで潰れてしまったけれど,今年は1キロでも先に行きたい,とか。

 一人一人,練習量もレベルも違うんですから,どうしても同じ条件(42.195キロを6時間

15分以内)には当てはまらない人が出てきて当然です。

 なにも必死こいて完走するばかりがマラソンの楽しみではないはずです。

 途中でやめて,リタイアバスで競技場に戻ってビールで乾杯でもいいじゃないですか。

 どうしてもリタイアが不本意な人は,一年練習を積んで,また挑戦すればいいことです。

 日本人は特にこのリタイアが嫌いなようです。

 ロスオリンピックで増田明美さんがリタイアした時も,心無い批判が溢れました。

 私も当時は心無い者の一人であったかもしれません。

 しかしこれ,本人が一番つらいんですからね。

 リタイアする勇気というのは尋常ではないものがあると思います。

 まあそんなトップランナーの苦悩なんて私なんかにはわかりませんけれども,所謂ジョガー

と言われる人たち,楽しんで走っている人たちは,もっと軽く考えていいんじゃないでしょうか。

 リタイアもその人にとっての一つのゴールであり,またスタートとなる人もあると。

 それで問題無いと思うのですがねえ。変ですか?

 

 こうして私のフルマラソン初挑戦は終わりました。

 結果が出せたのは良かったですね。

 しかし今後の課題もこれで明確になりました。

 明らかに練習不足。目標である「楽しんでマラソンを走る」には程遠い状況です。

 もう少し走らないといけませんな。はい。よくわかりました。

 応援チームと合流し,ずーちー先生が車を運転してくれてホテルに戻る。

 ベッドに倒れるとそのままバクッと寝てしまう。

 母から電話で起こされる。

 夜はずーちー先生が隠れた名店「M」に予約を入れてくれたので,そこに国防婦人会と

共に行く。

 おまかせでいろいろ出してもらいましたが,どれもこれも皆素晴らしい。

 泡盛が鬼のようにすすむ。

 すっかり堪能しておなかもいっぱい。

 この店は二階なんですが,帰る時階段を降りると,足にとんでもないダメージがあること

に気付く。

 登る時はなんてことなかったのに。フルマラソン,恐るべし。

 タクシーでホテルに戻り,国防婦人会はこれで終了。

 さて,マラソンも終わったことだし,沖縄の正しい夜のあり方を探求しに参ろうかと。

 そう思ったのですが,もうダメ。

 流石にそんな元気はもう無かったです。

 撃沈。

 ある意味負けだな(笑)。ちょっとくやしいぞ。

 

 NAHAマラソンレポートはこれで終わりです。

 この後はオマケ。

 マラソンの翌日は名護に移動することになっておりました。

 国防婦人会もおりますので,少しは観光みたいなこともしておかないといけない。

 ホテルをチェックアウトし,まず首里城に向かう。

 首里城の階段はこたえましたねえ。まあ少し動かした方が後で楽になるでしょうか。

 国防婦人会もかなり参ったみたいです。

 これがマラソンのスタートで使った「万国津梁之鐘」なんです。これはレプリカだそうですが。

 なかなか男前なシーサーがいたのでパチリ。

 首里城を出て,近くにあった「玉陵(たまうどぅん)」も見ました。

 王家のお墓ですね。うすらデカい。

 その後は高速道路に入りまして,名護に向かう。

 今回,マラソン以外の私の大目的。

 それは「美ら海水族館」のジンベイザメを見ることと,隣接する施設で飼育しているマナティ

を見ること。

 なかなか見事な水族館で良かったなあ。

 ナマコもぷにぷにいじめて遊んだし。

 ちょうどジンベイザメの餌付けの時間で,豪快な食いっぷりも見ることができました。

 こんなデカいもん飼ってるんだもんなあ。凄い水槽ですよ。

 そしてマナティちゃん。

 なんなの〜,この生き物は〜!

 両手を添えてニンジンをぽりぽり食ってる!

 あふあふ……(萌え死に)。

 すっかりマナティちゃんにはやられました。

 浜にも下りてみる。

 東シナ海を臨み,何を思う,自分。

 ていうか,知らねえ間にこんなたそがれ写真撮ってんじゃねえよ!管理人母!(笑)

 イルカのショーもやってましたよ。

 ジャーンプ!

 ゴンドウ君もいます。

 豪快なジャンプ。

 この4時間後ぐらいに,これまたずーちー先生に教わったお店で,ゴンドウちゃんを食べ

ました(笑)。

 あちらでは「ヒートゥ」と言うそうで,普通に食べるようです。

 イルカと言っておりますが,大概はコビレゴンドウらしいです。クジラだな。

 味はクジラです。炒め物を食べましたが,なんだか懐かしい味でした。

 尾の身を刺身で食いたいなあ。

 で,この店でさんざん飲み食いして(やや高めの泡盛をぐいぐい飲んでたら,帰る時店長

以下整列して最敬礼でお見送りされてしまった),もうおなかいっぱいだったのですが,変

な話,ホテルに帰る途中,猛烈な尿意に襲われました。

 そこらでやらかす訳にもいかず,また,ずーちー先生に,ヒージャー(ヤギ)を食えと言わ

れておったので,目の前にあったヤギ料理店に飛び込む。

 国防婦人会はヤギなんか食いませんけれども,私は勿論頼む。泡盛も。

 出てきて一口食べると,うーむ,これはなかなかいいぞ。

 クセがあるとは聞いておりましたが,確かにクセはありますけれども,これは風味だな。

 フーチバー(ヨモギ)もいいアクセントだ。

 すっかり気に入ってしまって,満腹を忘れてむさぼり食う。

 肉もいろんな部位が混ざっていて,それぞれの味や食感の違いが楽しい。

 一緒に出してくれたご飯も完食。

 また食いたいな。

 しかし店のおばちゃんと常連のおじさんの会話は,まるでわからなかった。

 あれは全く違う言語だな。

 

 そして最終日。

 ホテルをチェックアウトし,朝一番でオリオンビール工場に向かう。

 見学はタダなんですよ。生ビール一杯サービスしてくれる。

 この生ビールは旨かったな。

 これだけで帰ればホントにタダなんですけれども,土産物を置いているスペースがありま

してね。ここでワナにはまる訳です。

 結局ごちゃごちゃ買うことになる。まあいいけど。

 許田の道の駅でまた買い物。島らっきょうやらなにやら。地のものが結構あるんです。

 高速に乗り一気に戻る。

 ここでまたずーちー先生の言を思い出す。

 ニライカナイ橋というのがあり,ここから見る景色は素晴らしいと。

 帰りの飛行機まではまだずいぶん時間がある。これは行くしかない。

 ちょっと道に迷いましたが,なんとか辿り着く。

 いやー,これは凄い。しかしえらいもんを作りましたなあ。

 くにゃーっと曲がっておりましてね。絶景ですわ。走ると気分爽快。

 そして那覇市街に。

 牧志の市場でまた土産物を物色する。

 買い終わったらお土産類は,初日に飲んだ「地酒横丁」の1階にある郵便局で全てゆう

パックにして送ってしまう。

 身軽になって車を停めてある駐車場に戻ろうと,市場の中央通りを歩いていると,三線

の音が聞こえる。

 音のする方に寄っていくと,あれま,古謝美佐子さんではないですか。

 土産物屋の三線を借りて,路上ライブの真っ最中。

 歌は「童神(わらびがみ)」。

 こんな偶然って……。

 なんだか神様がご褒美をくれたみたいな気になってしまいましたよ。

 良かったなあ。

 さあ買い物も終わり。あとは帰るだけ。

 でもまだちょっと時間がある。

 これは初日に散髪した美容院に完走の報告をしに行こう(笑)。

 完走メダルを持って挨拶に行く。

 私を認めるや満面の笑みが広がる。

 「おかげさまで完走できました」

 「おめでとう!」

 固い握手。

 「来年も走るか?」

 「あー,その時はまた散髪をお願いします(笑)」

 大変に熱く祝福してくれましてね。妙に嬉しかったですね。

 もう思い残すことは無い。

 帰ろう。

 旅の終わりの「漫湖公園」。

 ずっとあなたのそばにいていいですか?(笑)

 

 沖縄最高。また行くよ。

2005.3.3 (2005.5.12 補筆,訂正)


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